2012年11月21日水曜日

北京、モンゴル旅行 part2

こんにちわ。中江です。
前回の旅行の続きをさっそくUPします。

モンゴル空港は撮影禁止でした。
いきなりタクシーからモンゴルへようこそっ!です。 
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1時間後
お腹が減ったので早速モンゴル料理をいただきます。
 揚げ餃子のピロシキ風です。(勝手にネーミング)
中身は餃子のお肉を子羊にかえたモノです。
これ1人前なんです。一人じゃ無理です。
 定番のラム肉です。
味付けは日本人に近い感覚だと思います。
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30分後
お腹も一杯になったのでウランバートル市内を散策です。
中心の広場です。 
 活気がありますね。
 一番大きいデパートです。
暖かいジャンバーを買おうと思ってたのですが、
高すぎて手が出ませんでした。
完全に 車社会です。
バイク、自転車などはほとんど見ませんでした。
 夕飯はパブに行きました。
モンゴルのビールは物凄いおいしいです。
 アルヒです。(ウォッカ)
モンゴルの人々はビールとアルヒが好きなようです。
それでは酔ったので寝ます。
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6時間後
ウランバートルからタクシーで2時間の場所にある
テレルジという場所に移動です。
テレルジはツーリストキャンプで有名な場所です。
目的は馬に乗る事と草原でビールを飲むことです。
 道路はあまり舗装されていません。
ガタガタと揺られました。
 そこら中に牛や羊がいました。のどかです。
 見えてきました。テレルジです。
 まずはホテルで一杯です。
 そしてさっそく草原で乾杯です。
 草原です。いやぁこれはスゴイですね。
 馬発見。家族と交渉です。
1時間日本円で1500円です。
安いのか高いのはは不明です・・・。
 私の相棒です。
 いざ、しゅっぱ~つ。
あの白いテントが「ゲル」です。 
馬が走り出すと写真を取る余裕無くなりますね。
最後にお世話になった家族とパシャリで
本日のブログは終わりです。
さようなら。

2012年11月13日火曜日

面白いレンズ加工

お久しぶりです!
前川と申します。
今回はレンズ加工について書きたいと思います。
まずは、こちらをご覧ください。


こちらのレンズの形を変えて切込みを入れると・・・・。

できあがりー




こんな事もできます。


お客様の思い描いた形をお伝えいただければできる限りご要望にお答えいたします。









2012年10月17日水曜日

北京、モンゴル旅行 part1



いつもオリゾンをご利用いただきありがとうございます。中江と申します。

夏休みを利用して海外旅行に行ってきましたので、
写真を交えてレポートしたいと思います。

行先のメインはモンゴルでトランスファーで北京にも計二日間滞在しました。
出発は羽田国際空港です。


綺麗な空港でした。
空港内にある小江戸街です。 雰囲気は凄く良かったですが
どのお店も高くて昼食は抜きました・・・。
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2時間半後

 さっそく北京に到着です。凄く広い空港です。
 市内までは電車で移動しました。25元(250円位)安いです。
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1時間後
 市内到着です。関西空港から来る友人と待ち合わせを
しているため広場で中国のビールを飲みながら待ってました。
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1時間後
 友人と合流しました。さっそく繁華街へ。
ここは火鍋ロードといってこんな提灯屋台が2キロ位
続く観光名所です。とはいっても地元の人ばかり。 
 タラの火鍋です。見た目ほど辛くないです。
 軟骨の火鍋炒めです。コリコリで美味しいです。
 2件目は居酒屋に行きました。これはお酒なんですが、
38度で味は日本酒と紹興酒を混ぜたような味です。
結構きつかったです。
 中国といえば炒飯ですよね。美味しかったです。
ただこれも見た目ほど味は濃くないです。
さて、酔ってきたのでホテルに戻って寝ましょう。
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5時間後 起床
モンゴルに出発です。北京空港にタクシーで移動です。
 朝ごはんは定番のラーメンです。
中国の麺は凄くやわらかめです。

ごめんなさい。朝からビールの誘惑に勝てませんでした。

さて、ほろ酔いのままモンゴルに出発です。
次回へ続きます。

2012年10月5日金曜日

愛車!?紹介

皆様、こんにちわ
ある意味最上級の男、スマイル担当最上です\(^o^)/
今回は自慢の愛車を紹介します。
実は車を2台、所有しています(^o^)v
しかも外車で車種は…

ロータス、エリーゼGT1と
ポルシェ、911GT1です(^o^)
しかもオリジナルカラー(*≧∀≦*)




それでは、ご覧下さい!!
僕の愛車です( ̄0 ̄)/


 知らない人の為に右が
ロータスエリーゼGT1で左がポルシェ911GT1です。












エリーゼはなんと
カーボンボンネット、カーボンウイングなのです(*^^*)
かっこいいでしょ(//∇//)




ボンネットを開けると.....。












!!














!!!















……って
ラジコンかい(*`Д´)ノ!!!


実家の押入れから出てきましたので
今回のブログのネタにしました(^_^;)

ちなみにモデルはタミヤ 『F103』と
フロントに白いスポンジが付いているのが、
京商 『TF-4type R』です。
自分で部品を組み立て、セッティングをします。
時には部品の加工や配線の溶接もします。

 

 











このプロポで操作します。
『プロポ』とは『プロポーショナル・システム』の略です。
モニターは最近、眼鏡のレンズを『アシストレンズ』に変えたので、携帯電話等の近くはとても楽で見やすいです!

おすすめです(o^・^o)













このモニターの操作で電圧、タイヤのキャンバー、トー角度等の細かな調整ができます。

詳しく説明しますと大変長くなりますので省きます(^_^;)














このエリーゼはFIA、GT選手権GT1クラスに参戦する為に開発されたようで、
市販のエリーゼとはまた、違うみたいです。
このエリーゼも好きですが、もし買うなら現行モデルのエリーゼフェイズⅡがいいですね(笑)













この911のデザインはあのTOYOTA
TS020を意識して開発されたようです。
1999年のTS020にはすごく感動し鳥肌がたちました。
ちなみに今年のレースで13年ぶりに出場したTS030はリタイアしてしまい、とても残念でした(ToT)

また、ポルシェはフランスで行われるル・マン24耐久レースのサルト・サーキットの一部のカーブを減速せずに曲がりきったと言われており、後にそのカーブを『ポルシェカーブ』と呼ばれるようになったみたいです。(間違っていましたらすみません)

すごいですよね(゜ロ゜) 


             


実際に走らせてみます。


 
             











秋葉原にお勧めのラジコン専門ショップが
2件あります。


 
                 











最近は性能がもっと良くなってるみたいですね。 中には、エンジン仕様でガソリンを入れて走るラジコンも あります。
ラジコンってやり出すと結構おもしろいですよ。 また興味がある方、是非やってみて下さい!              

2012年9月28日金曜日

秋のお洒落でかわいいメガネたち

街角のお花屋さんにいろとりどりの
   コスモスの花が咲き乱れこころ癒されています。

オリゾンも秋を感じさせる
   キュートでお洒落なフレーム達が入ってきました。

どのフレームも自然をモチーフにした癒し系
コレクションです。












海外のデザイナーと日本のフレームメーカーのコラボで安心でとても軽い女性に優しいフレームです。
















いちばんお洒落を楽しみたい季節、是非一度ご覧ください。

2012年8月24日金曜日

姫スイレン開花

 皆様はじめまして、オリゾンの夏堀と申します。

 植物好きでハーブ、野菜、ミニ盆栽そして姫スイレンを育てています。

 
 姫スイレンは、スイレンの中でも小型の品種で、6月から10月まで3~4㎝のかわいらしい花が
 
 咲きます。スイレンと聞くと育成が難しいイメージがありますが、姫スイレンは小型の品種なので

 池や大型の水槽がなくてもOK! 水をはることが出来るものであれば、プランターや金魚鉢、お

 茶椀など小型でスペースを為色々な場所で育成できますよ。室内でも半日以上日のあたる場所

 であれば育てる事が出来ますので、出窓や縁側などでオシャレでかわいい小さな姫スイレンを

 飾ってみてはいかがですか? 

 
 私は姫スイレンを育てて3年目ですが、今年もかわいい花が咲きました v(^。^)v








午前10時30分、つぼみがふくらんできました。









さらに30分後、つぼみが開いてきました o(^-^)o

          

                         小さな蜂さんも遊びに来てくれましたよ♪♪  他の姫スイレンの株は、初めての株分けで小さくし過ぎたのか、咲く気配がありません (T_T)
でも、来年に期待ですね q(^O^)p 

2012年8月16日木曜日

長宗我部 元親

こんにちは!

今回は前回に引き続き 長宗我部 元親 の後半です。

四国統一のエピソードから晩年をご紹介したいと思います。

四国統一へ

土佐統一後、元親は四国統一へ向け阿波(徳島)・讃岐(香川)・伊予方面(愛媛)へ

進出しはじめます。

阿波・讃岐には畿内の勢力争いでで信長に敗れた三好氏の勢力があり、元親は

信長と結び、三好氏攻略に乗り出します。

当初は、知勇兼備で元親を助けてきた実弟の吉良親貞が病死するなど、思うように

事が運びませんでしたが、戦や諜略で徐々に三好家や周辺勢力を追い詰め1580年

頃には阿波・讃岐方面をほぼ掌握しました。

一方、伊予方面では指揮官の久武 親信(ひさたけ ちかのぶが)戦死するなど苦戦しながら

攻略を進め、残るは伊予中部の河野氏だけ・・・というところでしたが、中国地方の雄

毛利氏が河野氏の援助をしたため伊予攻略は長期化することに。

更に・・・毛利だけでもやっかいな上に今度は、元親の躍進を脅威に感じたのか

友好的な関係だった信長が無理難題を押し付けてきて対立することに!






 ちなみに信長は元親のことを「鳥無き島の蝙蝠」 などと

小バカにしていたようですが、長宗我部の急な勢力拡大に

少し危機感を感じたんでしょうか。







そして1582年5月、信長は長宗我部討伐の軍を整え元親は絶対絶命のピンチに陥ります。

しかし!明日にでも開戦という6月2日に明智光秀による、かの有名な本能寺の変が起こった

のです。

もともと元親の奥さんは明智光秀の重臣・齋藤利三の妹で、光秀は信長に長宗我部との

外交を任されていました。元親との友好的な外交を目指した光秀でしたが、信長の急な

心変わりによる長宗我部征伐により面目丸つぶれになり、本能寺の変を引き起こした

心理的要因の一つとして挙げられています。

本能寺の変で信長が死ぬと長宗我部討伐軍は解体され、元親は再び勢力拡大を図り

信長の援助を受けて再起していた三好の残党を破り、再び四国統一まであと一歩まで

迫ります。 その頃、信長の後継争いが秀吉と柴田勝家により繰り広げられ、元親は

柴田勝家に味方し秀吉が送りこんできた軍を破ります。その後も秀吉と対立した徳川家康

などに味方し、秀吉とは争う構えをみせる元親。ここで秀吉に付かなかったのが運命の

分かれ道だったのでしょうか。

四国制圧

四国統一まであと一歩と迫った元親ですが、毛利の援軍と援助を受けて粘っている伊予の

河野家の攻略に手間取っていました。 しかし、1584年12月頃、苦しめられながらも毛利軍を

撤退させ河野家を降伏させます。翌年には周辺の豪族なども降伏させ、ついに四国制覇を

成し遂げました!!

しかし・・・喜びも束の間、次なる危機が元親に訪れます。

秀吉に降伏

1585年春、柴田勝家、徳川家康らを退け、信長の後継者としての地位を確固たるものにした

秀吉は何かと敵対していた長宗我部を討伐すべく、弟の羽柴秀長を総大将とした10万超えの

軍を編成し、宇喜多秀家、毛利勢の小早川隆景・吉川元長、そして弟の秀長と3方向から

同時に四国を攻めます。

当初は抗戦していた元親ですが、さすがにこれに敵う術なく諸城を攻略され、当時拠点として

いた白地城(徳島県三好市池田町白地にあった城)まで迫られると、家臣の谷忠澄(もともとは

神社の神主でしたが元親に取り立てられ、以後は政治・軍事を問わず手腕を発揮した名臣)の

進言もあり秀吉に降伏し、土佐一国のみ安堵され臣下として臣従します。

統一した直後の出来事でしたので・・・元親もさぞ悔しかったでしょうね。

嫡男の死


元親の後継ぎ候補は4人いました。その中でも長男の信親(のぶちか)は小さい頃から聡明で

家臣達からも評判が良く(元親とは大違い?)噂を聞きつけた織田信長から養子に欲しいと

言わしめた逸材。信親の「信」は信長から与えられた名前です。刀ももらったとか!

秀吉の軍門に下った元親は土佐一国の領地だけを安堵され、なんとか大名として生き残りました。

しかし・・・1586年、秀吉による九州の島津氏征伐が起こり、元親は嫡男の信親(のぶちか)と共に

九州征伐軍に加わります。そこで元親最大の悲劇が起きます。島津軍との戦い(戸次川の戦い)

で信親が22歳の若さで戦死してしまうのです。

若いながら死に際も見事だったようで、島津側の敵将からも手厚く葬られたそうです。

周囲からの評判も良く、しかも長身でイケメン!という非の打ちどころの無いこの嫡男に元親も

大いに期待していたようで、信親の戦死を聞いた際はその場で自殺をしようとした程です。

元親の落胆ぶりは半端ではなく、これを可哀想に思った秀吉が領土を増やしてやろうという

申し出も断ってしまいます。(信親の死で天下への夢も野望も潰えたようです)





 高知市、長浜の雪蹊寺(せっけいじ)

 にある信親の墓。









そして、信親の死を境に元親は覇気を失い、家臣団の争いや無用な粛清、跡目争い等を引き起

こし長宗我部家に暗い影を落とします。

その後

四男だった盛親に家督を譲り(その理由は信親の唯一の遺児の女の子を娶らせ、信親の

血を残すためには一番年齢の若い盛親が適任だと元親が考えた為です・・・そこまでするか!)

1599年、元親は秀吉が死去し政情が不安定な中、病気になり享年61歳で生涯を終えました。

後を継いだ盛親は・・・関ヶ原、大阪の陣で運にも見放され長宗我部家は滅亡することになります。

直接の原因ではないですが、信親が健在であれば違った結末になったのではないかと思います。

天下争いに加わるには生まれた時代が悪かったようですが、一度は滅亡した地方の弱小勢力

がここまでのし上がれたのは元親の才覚があってのことではないかと。

もう少し早く生まれていれば・・・生まれた場所がよければ・・・息子が長生きしていたら・・・

大河ドラマやってほしい!!

と思わせる元親でした。